人から何か言われた時に
悲しんだり
傷ついたり
腹が立ったり・・・
そんな時って
自分が自分について思っている言葉だったり
評価だったりする。
本当は
相手が自分を傷つけているのではなく
自分が自分を傷つけている。
例えとしては不適切かもしれないけれど
もし、私が人から
「あなたって、デブだよね」
と言われたとしても
私は何とも思わない。
それは、私が自分の事をデブだと思っていないし
過去にも思った事がないからだと思う。
でも、もし私が人から
「あなたって、ブスだよね」
と言われたとしたら・・・
すっごく落ち込む。
それは
私が自分の事をそのように評価しているから。
これって
拒食症の方が、すっごく痩せていて
むしろ太らなきゃいけない位なのに
「自分は太っている」と思い込んで
さらにダイエットするのと同じようなもの。
本当は人の言葉(評価)なんて
アテにならないし
事実かどうかも全く分からない。
自分の自分に対する評価って
最初のきっかけは
自分以外の第三者からの
自分に対する何気ない言葉である事が多い。
そう言われたら
私は親から
ダメ出しされたり、怒られた事は多いけれど
褒められた事がほとんどない(笑)。
学生の頃
成績が良かった私は父に
いい点を取ったテストを見せても
成績表を見せても
褒められた事がない。
だから最終的にはテスト自体を見せなくなったっけ。
もっとも、大人になった今
ペーパーテストが大した意味を持たない事を知っているけど
ブスって言葉も
子供の頃、父に何度か言われてた。
自分の子供にぶさいくなんて、どうよ(笑)
さて
私はあまり人を褒めるのが上手くない。
父に厳しく育てられた私には
基準値が高いからか
人の良さに気付けない事も多いのだけれど
褒める事、それ自体が慣れていないのか
言葉を口にするのが照れる感じなのか
人を褒める事が少ない。
私が褒められ慣れていないからなのね。
でも、有り難い事に
今
それに気付く事ができた
今年は
人のいい所、好きな所を
いーーーっぱい見つけて
それを口に出して褒める年にするの
ちろるには、いっぱい褒めているんだけど
そして
人生最期の時には
全ての生命に愛を注ぐ人でありたい
【ちろるの一言】
ぼくの目を開けて寝るという寝顔も褒めて下しゃい♬
悲しんだり
傷ついたり
腹が立ったり・・・
そんな時って
自分が自分について思っている言葉だったり
評価だったりする。
本当は
相手が自分を傷つけているのではなく
自分が自分を傷つけている。
例えとしては不適切かもしれないけれど
もし、私が人から
「あなたって、デブだよね」
と言われたとしても
私は何とも思わない。
それは、私が自分の事をデブだと思っていないし
過去にも思った事がないからだと思う。
でも、もし私が人から
「あなたって、ブスだよね」
と言われたとしたら・・・
すっごく落ち込む。
それは
私が自分の事をそのように評価しているから。
これって
拒食症の方が、すっごく痩せていて
むしろ太らなきゃいけない位なのに
「自分は太っている」と思い込んで
さらにダイエットするのと同じようなもの。
本当は人の言葉(評価)なんて
アテにならないし
事実かどうかも全く分からない。
自分の自分に対する評価って
最初のきっかけは
自分以外の第三者からの
自分に対する何気ない言葉である事が多い。
そう言われたら
私は親から
ダメ出しされたり、怒られた事は多いけれど
褒められた事がほとんどない(笑)。
学生の頃
成績が良かった私は父に
いい点を取ったテストを見せても
成績表を見せても
褒められた事がない。
だから最終的にはテスト自体を見せなくなったっけ。
もっとも、大人になった今
ペーパーテストが大した意味を持たない事を知っているけど
ブスって言葉も
子供の頃、父に何度か言われてた。
自分の子供にぶさいくなんて、どうよ(笑)
さて
私はあまり人を褒めるのが上手くない。
父に厳しく育てられた私には
基準値が高いからか
人の良さに気付けない事も多いのだけれど
褒める事、それ自体が慣れていないのか
言葉を口にするのが照れる感じなのか
人を褒める事が少ない。
私が褒められ慣れていないからなのね。
でも、有り難い事に
今
それに気付く事ができた
今年は
人のいい所、好きな所を
いーーーっぱい見つけて
それを口に出して褒める年にするの
ちろるには、いっぱい褒めているんだけど
そして
人生最期の時には
全ての生命に愛を注ぐ人でありたい
【ちろるの一言】
ぼくの目を開けて寝るという寝顔も褒めて下しゃい♬
コメント
コメント一覧
一番大事なのは やっぱり 愛
でも、近い人ほど愛が伝わりにくいんだね。
私は両親から叱られて非難されて育ちました。
父は亡くなりましたけれど、
母は健在です。
私は8年前に、家族と一緒に居続けることができずに一人暮らしを選択しました。
父、母、夫 この3人と一緒にいることができませんでした。
言葉を交わすことができませんでした。
おととしの暮れに父が亡くなる少し前、
父にかける言葉が変わった自分に気が付き、
ようやく父を愛することができたことに気付きました。
でも、いまだに母から電話がくると、
動かされてなるものか、
という、どこか「固まってしまう」自分がいます。
元夫と一緒にいると、張り合った気分になる私がいます。
まだまだですね~
いつかいろんなこだわりや思い込みを手放せたら、もっと楽に生きることができるようになると思いますけれど、
潜在意識をクリアにするって、本当に難しいです。
だから、一生かかって学んでいくのかな。
焦らず 諦めず 執着せず 希望を持って生きていこうと思います。
考えるきっかけをいただきました。
ありがとうね~
お互い、頑張らないで、良い流れを見つけていきましょうね。
コメントありがとうございます。
少しずつかもしれないですが、前進していってますよね。
そしておっしゃっているように
一生かけて学んでいくのかもしれないですね。
お互い、無理し過ぎず、肩肘張らず、歩んでいきましょうね~
こちらこそ、ありがとうございます。
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