保健所に持ち込まれたり、捕獲されたりする
犬猫の年間件数は約26万頭。
その内、元の家族や新たな家族に引き取られるのは
わずか10%~15%程度。
残りの23万頭は殺されてしまう悲しい現実。

一方で
人間の密猟や環境破壊等により
住処を追われたり、絶滅に瀕している野生動物たち。

正義感の強い私には
とても腹立たしくて許せなかった。

何で動物は同じ命を持っているのに
法律上では単なる「モノ」でしかないの?
虐待しても、処分しても
単なる「器物損壊」にしかならないの?
傷害罪や殺人(殺動物?)罪が摘要されればいいんだ!

そう思っていた。

今は
少し変わってきた。

もちろん、今でも人間の感情としては
そんな保健所に持ち込んだり、
その辺だろうが山の中だろうが
棄てたりする事に対して
憤りを覚えはする・・・

でもね

法律事務所で勤務していた事に考えた事
また
日々の経験から人生について考える事

その中で
彼らのやった事は許せないし、腹が立つから
そんな事をした奴らを処分しろー!というのは
何か違う気がしてきた。

確かに重い刑を科せば
それが抑止力となって
多少、殺処分される数は減るのかもしれない。

でも、それだと隠れて処分するかもしれないし
結局、根本的な解決にはならない。

何より、
恐怖心や憎しみから生まれた行動では
私自身が満たされないし
幸せを感じないから。

刑務官の話によると
受刑者のうち、本当に反省している人は一握りなのだそう。
(日本の場合。諸外国では更生プログラムで改善しているケースもある。)


「国の偉大さ、道徳的発展は、その国における動物の扱い方で判る。」
マハトマ・ガンジーさんの有名な名言だ。

ならば、
動物に対する扱い方が粗末であるという事は
心が貧しい状態にあるって事ではないのだろうか。

そんな状態の人達に
「あんたのやった事は間違っているから、罰をうけるべきだ」
と責めるだけでは
今の私には、何かしっくりこなくなったのだ。

憎しみは憎しみを生むだけ。

怒りや憎しみの波動は
結局、自分にそんな現実を引き寄せる。

もちろん、現実的な行動として
これからも
殺処分反対や動物実験反対等その他の署名に署名を続けていく。
保護して下さっている方達には
ほんと感謝しているので、寄付等のバックアップは行うし
シェアも続けていく。

でも、それだけではなくて
責めるのではなくて
私は周りの人に愛を注いでいきたいと思う。

それは
みんなが今よりも少し
心に余裕ができて、愛が増えたら
その分、人にも動物にも優しくなれる・・・

綺麗事と批判する方もいるかもしれないけど
その事を知ってしまった私は
やっぱり愛を、光を選択していきたい。

あ!
それでも、時々責めたり、憤りを感じたりしている私を見た時は
今はブラックな面なんだなあと
大きな心で見守って下さい☆


【ちろるの一言】

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だから、こんなやんちゃな事をしちゃった僕も
大きな心で許して下さい