私は反原発だ。

今すぐ脱原発というのは
エネルギー供給の問題
そこでの雇用の問題等
解決していく問題があり
難しいのかもしれない。

でも
原発依存度を減らしていって欲しい。

できるなら
ウランや原油、天然ガスといった天然資源の利用ではなく
再生可能エネルギーを使用するエネルギー政策への転換を強く望む。


ところで
原発の安全性をめぐる裁判は、これまでほとんどが原告敗訴だそうだ。
これまでの原発訴訟で原告勝訴は2例だけ。
・高速増殖原型炉「もんじゅ」(福井県)の設置許可を無効とした03年の名古屋高裁金沢支部の判決
・北陸電力志賀原発2号機(石川県)の運転差し止めを認めた06年の金沢地裁判決
だが、いずれも上級審で原告が逆転敗訴なのだそう。
知らなかった・・・


これについて
みなさんは,どう思われるだろうか?

脱原発派の私は
甚だ残念な思いだ。

だがその判決を下した裁判官に対する思いは
致し方ないのかも・・・と思う。

なぜなら
司法は正義を守る所ではないからだ。

※そもそも「正義」とは
どの視点に立つかによって異なるのだが
ここではその話は割愛する。

判断する裁判官の
心情・信条・信念により
判決に影響がないかといえば
正直分からない。
私は、裁判官ではないし。

人である以上
全くその影響を排除できるかというと
難しいと思う。

だが
裁判官は己の信条・信念を横に置いておいて
原告・被告双方が提出した証拠のみをもって
合法か違法か、合憲か違憲かを判断するだけだ。
提出していない証拠を以て判断を加える事はできない。

なぜなら
裁判官は選挙で選ばれた訳ではない。
法律を作っているのは
一応、国民が選挙で選んだ国会議員が策定しているのだ。
実際は選挙で選ばれてはいない霞が関のお役人が策定しているし
選挙自体に課題もあるのだが・・・

だから
司法が判断できるのは
合法か違法か、合憲か違憲かのみにならざるを得ない。
たとえ自分の立場が反対意見であったとしても
そこに個人的見解を挟む訳にはいかない(一応)。

原告敗訴の判決を下した裁判官の
個人的信条は
もしかしたら原発推進派かもしれないし
逆に脱原発派かもしれない。
それは分からないが
”裁判官”としての立場では
そう判断せざるを得なかったのだろう。


ならば私達はどうする事ができるだろうか???

私達ができるのは
行政や立法府を動かす事だ。

何が幸せなのか
どうする事がいいのか
一緒に考えませんか。

未来の地球、子供達、動植物、そして自分達の為に